大鵬関に学ぶ(『朝の心』2009.11.05(木))

 皆さんは「巨人、大鵬、卵焼き」って聞いたことがありますか?子どもの好きなものを羅列した1960年代の流行語です。当時野球界は、王・長嶋のONコンビの活躍もあって巨人ファンが圧倒的に多く、相撲界では大鵬が圧倒的な強さを誇っていた時代、また卵は滅多に食べることができない貴重品だったので、卵焼きは最も人気のあるおかずだったのです。
 貧しい生活を強いられていた私も卵焼きは滅多に食べられなかったし、野球は巨人以外知らなかったので当然のように巨人ファンでしたが、どうしても大鵬ファンにはなれませんでした。理由は、五島出身の佐田の山が、大鵬が強すぎたために、なかなか優勝できなかったからです。大鵬の幕内優勝32回の記録は、今でもまだ破られていないのです。
この大鵬関は、相撲界では初の文化功労者に選ばれ、昨日その顕彰式が行われましたが、大鵬関に関するもう一つの素晴らしい記事を見つけました。それは、献血運搬車を日本赤十字社に40年間も贈呈し続けていた、というものです。
 大鵬関は、ウクライナ人の父親と日本人の母親の間に樺太で生まれたために、北海道へ引き揚げた後も、差別やいじめに苦しみながら力士になりました。その時、巡業先でのファンからの温かい声援が大きな励ましになったそうです。その恩に報いるために、結婚した時、「おれたちだけ幸せになるんじゃなくて、みんなとその幸せを分かち合いたい」とご夫人と話しあい、慈善事業を始めたそうです。最初の2年間は養護施設にテレビを贈っていたそうですが、献血を医療機関に運ぶ車が不足していると聞き、それ以来献血運搬車を寄贈することにしたとのことです。
 一台約200万円もする献血運搬車を毎年2台ずつ寄贈し続け、その経費は、しこ名入りの浴衣などいわゆる「大鵬グッズ」の売り上げを充ててきたとのこと。しかし近年はその売れ行きも芳しくなくて、2002年からは贈呈する車両も1台となり、今年9月7日に贈呈した車がちょうど70台めとなり、自分自身も70歳を超えた車椅子生活であることから、それを節目に一区切りつけることにしたそうです。その間贈呈した車両の総額は、1億2000万円にもなります。「40年も続けてこられたのは、皆さんの協力のおかげ。現役を引退したとき以上に感無量」と感慨深げに話す姿にすがすがしさを感じました。この献血輸送車『大鵬号』は47全都道府県に行き渡り、今でも12台が現役で走っているそうです。
 そのニュースに接したとき、「ファンへの恩返しとはいえ、そこまでできるのか」と考えさせられました。自分だけの幸せではなく人のために尽くすことの素晴らしさ、そしてまた、自分が決心したことを最後まで遣り遂げる姿勢を、大鵬関の姿から学んでいきたいものだと思います。このような地道な活動は、文化功労賞以上に価値があるのではないでしょうか。